年齢を重ね今、考えること

今年もお盆の季節が到来、あれよあれよとお彼岸が来てしまったと。月日が流れるのが早いこと(笑)そして必ず一つ歳を重ねてしまいます。お盆やお彼岸には、お墓参りに行きご先祖様の供養をすることが当たり前の事と誰もが認識しているはずです。

お彼岸に先祖供養をするのは、日本独特の風習と言われています。春分と秋分は「お彼岸」とも呼ばれ、先祖供養の日とされています。「彼岸」は煩悩を脱して涅槃(迷いや煩悩の川の向こう岸にあるとされる)の境地に至った状態を指す、梵語由来の言葉ですが、お彼岸に先祖供養をする風習は日本独特で、中国やインドにはありません。古来、日本人は太陽を崇拝し、春分や秋分、夏至や冬至には祭りが催されてきたようです。春分や秋分は太陽が真東から昇って真西に沈むので、奈良時代に仏教の布教が始まると、西方浄土信仰と関係づけられて「彼岸会」が生まれたと考えられています。本来の彼岸会は7日間にわたって行われる法会で、大同元(806)年に、早良親王の霊を慰めるために始まったものとされていますが、『日本後紀』には、「諸国分寺の僧春秋二仲月別七日、金剛般若経を読ましむ」とあり、まだ「彼岸」とは呼ばれていなかったようです。現代でも、お彼岸には仏壇に牡丹餅やお萩を供え、お墓参りをする人が多いでしょう。

しかし、私は年々、考えさせられることがあります。それは、墓守です。我が家の隣のお墓は放置され、草ぼうぼう、毎年、見るたびにひしひしと感じるものが募っていくのです。お墓が遠い、墓守の体が不自由、子孫がいない等、様々な理由はあると思います。少子化の現代、仕方がないことかもしれません。我が家でもいつまで、誰が守ってくれるのか不安が増していきます。強制的に子供たちに守れとも言い切れない今世でもあり・・・・・おおよそ、誰もが感じていることではないでしょうか? TVでカード式のお参りをするコマーシャルを見るとそれもいいなと考えることもあります。草むしりもなく掃除もなく、いつももきれいで会いたいときに合に行ける等のメリットがあります。その反面、風情もなくむなしさも感じてしまう。現在のお墓を墓じまいしなくてはならない現実もあります。

そこで私は、供養は何のためにするものかと考えてみました。供養をする最大の理由は、亡くなった人に向き合うためです。供養を行うことで故人と対話をし、故人を偲ぶことで故人を失った悲しみを乗り越えると言われています。供養を通して故人との心のつながりを確かにすることが心の支えとなるのです。また、供養を行うと死」と向き合うこともできると考えられています。死生観を深めると生を豊かにできると考えられ、これまでよりも大きな視点が持てるようになると言えるでしょう。供養の形はいろいろあってもよいのかとも思えます。

私だけではなく、誰もが考えている共通のテーマともいえるでしょう。年々、自分が年を重ねるごとに痛切に感じてきた今日この頃です。

医療福祉総合クリニック 看護師