老化に思う

老化に思う
・・・至極当たり前だが、うれしくはない・・・

最近つくづく思い知るのは、自分の老化現象である。頭は髪が薄くなり白くなり、眼は見ず、耳は聴きづらく眩暈を起こし、臭いには鈍感で、鼻はしょっちゅう皮膚感染で赤く腫れていて、歯は痛かったり欠けたり不安定で噛めず、顎は顎関節痛で食べるのも手間暇がかかり、皮膚は発疹等の病変は治らず、関節も痛みを繰り返し、筋肉も筋力・持久力ともに能力低下は顕著である。
こう挙げただけでも十分嫌になるが、表面からは判らない内臓(脳みそも)の老化も同様に進んでいるのであろう。

医療は人間には治癒力がある事が前提で成り立っている。しかし老化を見ていると、人間の治癒力とは、臓器レベルで言うと、元通りに作り直すのでは無くて、壊れた所を処分してなるべく邪魔にならない様にして、壊れていない所を使うという事である。次々と壊れると残りが減って、次第に能力は低下してしまう。
神様が生命をこの世に作った時、大事に修理して使うより使い捨ての方が良いと考えたのだろうか。壊れたら修理するよりも、新しい若い次世代に代替わりする方が効率は良いのであろう。

ともかく、老化に伴って起こって来る変化に対しては、修理能力、治癒力は弱いのである。治る力が無いものを、医療で治そうとしても、当然治らないわけで、おおかた徒労に終わる。
低下した臓器レベルでの能力を元通り回復させるには、サイボーグ化か移植するしかない。頭にはカツラをかぶり、目には老眼鏡をかけ、歯には金属・プラスチックを被せ、皮膚は軟膏類で蔽い、関節は人工物で置き換え、くらいは今でもフツーである。人工物になるのか細胞製品になるのかは分からないが、そのうち筋肉でも内臓でも脳みそでも、置き換え・補充し、機能を保てるようにはなるのかも知れない。これは自然の摂理には明らかに反しており、壊れて能力が落ちたら次世代に代わるという自然の法則には従っていない。
最良で現状維持は図れ、能力低下速度は落とせるが、機能低下を全回復できるわけではない。(とんでもない化け物は作れるかも知れないが・・・)。個体としては生き長らえるので、日々老化して能力低下が進んで行く中での生命活動、社会活動となる。

日本は少子高齢化社会と言われ、人口減少と高齢化が顕著で、これから数十年たてば、人口は半分になり、そのかなりの部分が高齢者になる。とても若い国とは言えず、国としても老人であろう。老化による国力低下を防ぐ事は難しいだろう。身体はロボット化し、頭もAIに頼り、外国人の労働力に依存してやって行く、それでも国の老化は防げないだろう。構成員の国民の多くが老人だからである。いくら修理しても、保てる機能は限られ、伸びしろのある若さにはかなわない気がする。歴史的には、国家が存亡の危機に瀕すると、その解決法は戦争か革命(天の命令が変わる)しか無かったと教わった覚えがある。国が老化して行く中で、多くの問題が噴出するのだろう。我々はどう対処するのか?若返りを図るにはどうすれば良いのか?要介護状態になり自立できなくなる前に、方策を立てられるのか?安楽死を選ぶのか?人は刻々と老化して行き、時間は止まらない自然法則(盛者必衰の理)の中で、21世紀の日本人は(自身の事も含め)英知を問われ、選択を迫られていると思う。
人間がズーッと問われ続けている問題ではあり、だからこそ、国は栄枯盛衰を繰り返しながら、人類が存在できているのかも知れないが・・・。個人は集団のために、国家・民族は人類の ために、人類は地球・宇宙のために?

理事長 矢尾板 誠一