創業40周年にあたって

9月1日は医療法人矢尾板記念会の創立記念日になっています。

前理事長の父、矢尾板義人が今のクリニックかわせみを建築して、見龍堂病院として開院したのが昭和58年の9月1日で、そこから創立記念日が始まりました。

それから数えると38周年となります。
当時、外来と8床の病院として開院し、病室は今の地下2階にあり、2階、3階は無かった構造でした。外来は外科と眼科で、外科手術も行い、救急外来も夜間診療も早朝診療も往診も行っていて、夜の外来は多くの患者さんで溢れんばかりだった記憶があります。
外科の夜の外来だけで40人ぐらいは診ていたでしょう。眼科も合わせると100人を超えていた日も多かったと思います。矢尾板義人院長は、医師そのもので、朝から朝まで、どの場面でも白衣を着た医師をしていたと思います。その医師に連れ添って支えていたのが、現院長の母、矢尾板栄子で、朝から晩までやはり眼科医をしていました。朝休み、昼休み、夕休みと夜のみ家庭にいる生活だったと思います。

もともとは、昭和31年に旧今市市に転居して、矢尾板義人の兄、熊谷忠雄が院長だった今市病院に夫婦で勤め、外科と眼科で長年勤務し、矢尾板義人は副院長も務めましたが、昭和56年に退職。当時、杉と雑木と畑と笹に囲まれた、平ケ崎の果ての坂の上に自宅があり(隣家は坂の下で200mぐらい離れており1軒だけの建物で、モモンガとヤマドリと池の鯉と蛾とカブトムシとの共同生活、冬は何もかも凍っていました。)、そこで、多分、医師しかできないので、医師をするために開院したのだと思います。

初めは、自宅の応接間の床に緑のビニールシートを敷いて、眼科の機械を2~3並べ、受付と診察台を置いた、簡単な診察室で診療し、玄関が出入口で、眼科のみの開業でした。矢尾板栄子院長で見龍堂医院として昭和56年4月に開院しました。(そこから2年かけて奥の隣地の傾斜地に建物を建設しました。
平らでない所を利用したのは、鬼怒川温泉のホテルも頭にあったようで、土地有効活用だと語っていたと思います。
少しは後の事も考えて場所なども選んだら良かったのでしょうが、医師としての自信とこだわりと理想もあり、今の場所に建物の基が築かれました。)そんな訳で、見龍堂医院の創業ということで言えば、昭和56年に平ケ崎で、ということになり、今年で40周年です。

矢尾板栄子院長も、眼科医として理事として頑張って来た40年間で、91歳になりました。時は流れ、理事長も私から次世代に引き継ぐ時候になろうとしています。日本も右肩上がりの時代は終わり、医療・福祉を取り巻く環境も大きく変わっています。

そんな今日この頃ですが、お陰様で創業40周年を迎える事が出来、有難い事だと思います。
これからも新しい力も加えながら、皆で力を合わせて進んで行きましょう。

理事長:矢尾板誠一