青葉が風に揺れる、気持ちのよい季節になりました。皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
今回は、毎朝の通勤途中に見かけた光景が私に教えてくれたことをお伝えしたいと思います。
毎朝、同じ場所に立つ人がいた
車で出勤する道すがら、いつも同じ時間、同じ場所で散歩をしている男性がいました。片麻痺があるのか、杖をつきながら、足を少し引きずるようにして歩いていました。それでも毎朝欠かさず、黙々と歩き続けていました。
最初にお見かけしたころは、歩くテンポもゆっくりで、一歩一歩に全力を注いでいるような印象でした。でも日を追うごとに、足の運びが少しずつ安定してきて、歩く姿に力強さが感じられるようになっていきました。車の中から、毎朝その変化をひそかに楽しみにしていました。
ある日、シニアカーに乗るようになった
ところが、ある日から彼の姿が変わりました。シニアカー(電動カート)で同じ道を移動するようになったのです。座ったまま楽に進む様子は、とても快適そうでした。移動が楽になったのだから、それはよいことだと思いました。
しかし、それから数週間が経ったころのことです。久しぶりに彼が歩いているところを見かけたとき、以前の力強さが消えていました。足の運びが重く、以前よりずっとおぼつかない様子でした。
「使わなくなったから、落ちてしまったんだ」と、その時、頭で理解していたことが、初めて腑に落ちた気がしました。
サルコペニアって、何?
なぜ、数週間でこれほど歩く力が落ちてしまったのでしょうか。その答えは、「筋肉は使わなければ衰える」というシンプルな事実にあります。この経験が、「サルコペニア」という言葉をより身近なものにしてくれました。
サルコペニアとは、加齢や活動量の低下によって筋肉の量が減り、筋力や体の機能が落ちた状態のことをいいます。40歳を過ぎると筋肉量は年に約 1〜2%ずつ自然に減少するといわれており、加齢による減少そのものを完全に止めることはできません。ただ、適度な運動とたんぱく質をはじめとした栄養をしっかり摂ることで、そのスピードを大幅に遅らせたり、一度落ちた筋肉を取り戻したりすることは十分に可能です。
怖いのは、本人が気づきにくいことです。「なんとなく疲れやすい」「立ち上がりがつらい」「歩くのが遅くなった」こうした変化はつい「年のせい」と片づけられがちですが、実はサルコペニアのサインであることが少なくありません。彼の変化も、数週間という短い期間で起きたことでした。
便利さと、体を動かすことのバランス
シニアカー(電動カート)は、座ったまま移動できる高齢者向けの小型電動乗り物で、足腰が弱くなった方の外出を助けてくれる大切な道具です。それを否定したいわけではありません。ただ、便利な道具に頼るほど、体を動かす機会が減っていくというのも、現実としてあります。
「楽になること」と「体を使い続けること」この二つをどうバランスさせるかが、リハビリスタッフとして日々考えていることのひとつです。たとえ移動に車椅子を使っていても、できる範囲で歩く時間を意識的に残すこと。そんな小さな工夫が、筋肉を守ることにつながります。
筋肉は、何歳になっても応えてくれる
筋肉の衰えを完全に止めることはできませんが、使い続けることで衰えを最小限に抑えることはできます。毎朝黙々と歩き続けたあの男性が、それを証明してくれていました。遅すぎるということは、ありません。
特別なことをしなくても、日々の生活の中で「できるだけ自分で動く」意識を持つことが、筋肉を守る第一歩です。エレベーターより階段、車より徒歩、小さな選択の積み重ねが、体を変えていきます。
毎朝、車の窓越しに見かけた名前も知らない男性が、リハビリの本質を教えてくれました。
筋肉は、裏切りません。今日のほんの少しの積み重ねが、明日の自分を支えます。大げさでなくていい、完璧でなくていい。「動こう」と思った、その気持ちを大切に生活していきましょう。
理学療法士 舘野 明美
