人生90年時代を迎え、致死的な癌や心不全、腎臓不全、肝硬変などの“病気”がなければ、90歳ぐらいまでは死なない時代になってきました。その結果、認知症は誰でもなりうる状態、となっています。勿論、特殊な“病気”の認知症は有りますが、90才過ぎれば病気でなくても、誰でも認知症になり得る状況です。
年を取ると体と同様に脳も老化して、脳細胞が死んで失われ、数が減じて行きます。ある程度の数の脳細胞が残っていると、何とか機能を保とうと頑張って働きます。細胞数が少ない分、脳細胞が形成する電気回路の数も少なく、効率的に速く運用ができますが、逆に選択肢は少ないので、迷えず決まったようにしか働けないようになります。少数・精鋭で頑張って働いていますが、代わりを務める脳細胞が少ないので、一つの細胞が失われると、ダメージが大きく、回路の機能が低下します。また、細胞が減じてくると機能を保つため、残っている細胞の活動性を上げようとして、過興奮状態になり、長時間の頑張りが出来なくなり、余計な部位も過活動になって、感情の振れ幅が大きくなったりすると考えられます。短気だったり、怒りぽくなったり、眠れなかったりします。
更に細胞数が減ると、短期記憶ができなくなり、短期記憶を長期記憶にも移せな
くなり、物忘れなどが目立ち、記憶も上手く引き出せなくなると、妄想や幻覚も出てくるのだと思います。そうなると社会生活が難しくなり認知症状態ですね。更にもっと脳細胞が減れば体も動かせなくなり、嚥下機能も低下して誤嚥を起こすようになって、食べることもままならない状況になります。人により、どこの細胞が失われたかで症状の強弱は異なりますが・・・。
この経過は脳の老化そのものなので、脳細胞が減じる事態が病的でなくても、時間とともに何れ起こって来ると思います。100年間近く生きれば脳細胞数が減じるのは避けられません。ですので、そこまで生きれば誰でもが認知面が低下して、認知症になり得ると思います。一方、今は社会が複雑なので、脳の機能が落ちると、直ぐに社会生活困難に直面します。社会生活に支障をきたす脳の機能低下が認知症だと定義すると、認知症になり易い現代社会と考えられます。さらに働かないと生きていけない社会なので、現社会から解脱して別世界で余生を送ることが難しい世の中です。潜在的に認知症が増加し易い社会になっていると思います。
社会生活が困難となり施設に入れば、現社会のストレスからは解放されますが、施設にも施設社会は存在するので、その社会ルールを守れることが求められます。人間は集団生活の中で生きてきた生物なので、集団生活を送れることが、安心感を得て幸福に暮らすには必要です。良い家族や施設など良い集団内に居ることが大切で、幸せに繋がります。独居とならざるを得ない世の中となっており、良い施設に入所すると安心感、幸福感が増し問題行動が減る方も見受けられます。認知面が低下する事は仕方がないとして、何とか施設内社会には受け入れられたいものです。今の老人介護社会では、集団内で生活できるような認知症になる事が大事でしょう。被害妄想、物とられ妄想、イライラして攻撃性が強い、大声で怒鳴る、などは施設での集団生活の阻害要因です。どうしたらそうならないで呆けられるのかも考えなければならないとも思います。そうできないと結局は自分が幸福になれないからです。集団生活ができる認知症になるために、呆ける前から準備が出来ると良いのですが、日々こころの修業を積んだら、少しは上手く行くでしょうか?試行錯誤の日々です。
また、介護を提供する側にとっては、周囲の人はどう導けばよいのか?社会サービスはどうあるべきなのか?等が大事な課題です。脳でも体でも、使わないと働きが落ちることは確かですし、老化が進むと昨日できたことが出来なくなることも確かです。最後に死ぬことも確かなので、そこまでどう生きるのか?どう生きられるのか?長寿社会の抱える大きな課題だと思います。
理事長 矢尾板誠一
