認知症とともに ~私たちはどう生きるか~

「認知症」という言葉は、現在では広く一般に使われるようになりました。以前は「痴呆(ちほう)」と呼ばれていましたが、侮蔑的な印象を与える表現であるとして、2004年に「認知症」へと名称が変更されました。

では、あらためて「認知症」とはどのような状態をいうのでしょうか。厚生労働省は、認知症とはアルツハイマー病などの脳の病気によって神経細胞が減少・破壊され、記憶障害や見当識障害などが起こり、日常生活や社会生活に支障をきたしている状態と定義しています。

この認知症の定義で重要なのは「日常生活・社会生活に支障がある状態」であるという点です。多少の物忘れがあっても生活に大きな支障がなければ、それは「認知症」とは言いません。

私自身も50歳を過ぎ、この頃ふとした物忘れを感じることがあります。例えば普段あまり使わない家の倉庫の鍵が見つからず困ってしまう、しかし少し考えると、無くさないようにと思ってしまい込んだことを思い出します。また久しぶりに都会へ行くと、電車の乗り換えで以前より良い順路がすぐ思いつかず戸惑うこともあります。

しかしこれらは多くの人に見られる加齢による物忘れであり、認知症とは異なります。日常生活や社会生活に大きな支障がないからです。

ここで考えさせられるのは、「生活に支障がある」ということと、私たちが生きている社会との関係です。インターネットやスマートフォン、電子決済の普及によって生活は便利になりましたが、それらを使いこなすためには新しい知識や技術を学び続ける必要があります。

もし仮に、海に囲まれた島で魚をとり木の実を集めて暮らす世界があるとしたら、多少の物忘れがあっても生活に大きな支障はなく、認知症という概念自体が今ほど問題にならないかもしれません。高度で複雑になった現代社会だからこそ、私たちは生活の中で「支障」を感じやすくなっているとも言えるのではないでしょうか。

少し話はそれますが、子どもの頃に夢中になって読んだ小説を思い出します。イギリスの作家H・G・ウェルズの『宇宙戦争』という作品です。この物語では地球は宇宙人の侵略を受け、人類は必死に抵抗しますが歯が立ちません。ところが侵略者は、人類が長く共存してきたインフルエンザなどの病原菌によって滅びてしまいます。

この物語を思い出すと、私たち人間が築いてきた文明や社会のあり方について、あらためて考えさせられます。認知症もまた、私たちの生き方や社会を見つめ直すきっかけなのかもしれません。

2024年には「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が施行されました。この法律は、認知症の人が尊厳を保ち、自分らしく暮らせる「共生社会」の実現を目指すものです。

私たちがつくりあげた社会の中で「生活に支障がある状態」が認知症であるならば、この問題は決して誰かだけのものではありません。私たち誰もが関わる身近な問題なのだと思います。だからこそ「認知症」と構えてとらえるのではなく、認知症とともに ~私たちはどう生きるか~ 自身のこととして考えることが大切ではないでしょうか。

共生社会とは、法律だけで実現するものではありません。地域で暮らす一人ひとりの理解や支え合いの中で、少しずつ形づくられていくものなのだと思います。私たち医療法人矢尾板記念会は、地域医療や老人医療、保健福祉の実践を通して、安心して生活できる地域の構築、発展に貢献することという理念のもと、これからも努力を続けていきます。

認知症の人も、その家族も、そして地域に暮らすすべての人が安心して生活できる社会とはどのような社会なのでしょうか。その問いを胸に、これからも地域の中で歩み続けていきたいと思います。

グループホームかわせみ
堀口 高志