国宝の下で暮らす乞食?

矢尾板の山形の大叔父が言った言葉で、最近感じ入るのは、“自分は国宝の下で暮らす乞食の様”です。頭が素晴らしく切れる人物で、自分の学問・興味に活きて、変人との噂も聞こえましたが、東大の医学部で生化学を学び優秀な成績で、研究者として期待された人でした。
山形に戻り、街の要衝の十日町交差点で、祖父からの医院を引き継いだのですが、広大な土地に立派な木造の住居と蔵、広い和風庭園に医院の建物が配置されており、今はその土地にいくつかの大きなビルが建つ場所でした。白衣和服を着て鞄を肩にかけ自転車で往診したりして、昭和後半の時代では目立った生活様相だったようです。医院は山形の町のガンなどと言われた事もありました。
山も相続し、税金などの固定支払いが大変で、それでも強くはない体力で医師の仕事を続け、家や土地、財産を守り抜きました。

しかし生活は楽ではなかったと思いますし、従妹たちの暮らしぶりも「質素倹約の中で学業に励む」と見受けられました。蔵の中が勉強部屋だったと聞いています。従妹はみな優秀で医学部に進学し活躍していますが・・・。

今の日本を見ると、昭和に築いた宝を守り、裕福な生活スタイルを続ける為に、貧困生活を強いられる様になって来ていると感じます。エネルギー消費に頼る生活は極めて便利で楽ですが、極めてコスト高で、日常生活コストが高すぎるのではと感じます。食べ物は美味しく、何時でも何処でも手に入り、住環境も整いエアコンも当たり前。しかし、その基を支えているのは大量のエネルギー消費、電気消費です。
電気の素はほとんど外国から輸入する化石燃料で、形を電気に変えているだけです。輸入するにはお金が必要です。食べ物もほとんど外国からの輸入で、それを産生するには広大な土地と太陽エネルギーと肥料と飼料と人手が必要ですが、そのコストはお金で支払っています。
なので、今の時代、普通の社会生活をすると、どんなに節約してもお金がかかり、固定費を払うと手元には残らない様になって来ているのではないでしょうか?

少子高齢化の果ての人口減少、働き手減少社会の兆しで、日本でも症状が目立って来ていると思います。今後、人も金も減少となれば、モノも減り、生活コストはさらに上昇します。
現状生活を守るとなれば、お金を稼ぐしかないのですが、あまり稼げないとなれば、外国から得るものを守るには武力が必要、国民生活を守るためには武力が必要となるのが常で、日本も守りに入って軍備の強化を始めています。
防衛費が増して、福祉費は減じる傾向が出てきます。医療・福祉関係者としては、効率化を図り、人と物と金がかからない、質素倹約スタイルを模索するしかないでしょう。
今のスタイルの医療・福祉(より若い世代が支える、維持のための共生社会)は難しくなり、新しい考え方が必要となるかも知れません。維持のため、大量の人と物の“輸入”もあり得ますが、コストがかかります。輸入先の確保と安定も必要です。
医療・福祉分野だけで考えても、人も食料もエネルギーも輸入となれば、そのコスト等をどうするのかが問題です。
解決するにはそれだけのお金を稼げる魅力的な技術、特にエネルギーが(可能なら食糧も)自給出来て、輸出できるぐらいのものの開発が必要です。防衛費ではなく、国家の命運をかけて新しい技術開発を進める投資が必要だと思います。予算をばらまいてもダメなので、ポイントを絞った効率的投資が必要でしょう。
原発は自然災害国日本の現状にはそぐわしくないことが経験から明らかです。

“国宝の下で暮らす乞食”にならないためには、新しく国宝を作るくらいのパワーが必要です。守るべきものが余り無かった時代の無茶振りが必要なのかも知れませんが、重いものを背負い、跳ね返して、それをしなければなりません。できるかどうか不安になりますが、いつの時代もそうだったと思いますが、選択肢は余り無くて、パワーを結集して進むしかないのでしょう。

理事長 矢尾板 誠一