私も、年々歳を重ね、65歳になりました。
高齢者の仲間入りをして、年金も受給開始して介護保険料も高くなりました。
振り返ると、子供の頃、55年前は昭和40年頃で、うる覚えですが、今市市の人口は4万人ぐらい、今市小学校は45人学級で8クラスはありました。一学年360人ぐらいはいて、上の学年はもっと多く、10クラスもあったと思います。
兎も角、子供が多くガチャガチャ、ごちゃごちゃしていました。
去年の日光市の人口は8万人、出生数は380人/年ですので、全員が100歳まで生きたとしても出生数が同じなら、100年後には、38000人余りにしかなりません。日光市の人口は激減し、推計では20年後には45000人足らずとされています。
55年前は今市の人口は4万人ぐらいで、人の数から言うと同じ様な数ですが、町はコンパクトでヒトが多く、活気があったと思います。花市の時などは歩けない程の人混みで、滝尾神社から今市駅まで屋台や出店が道の両側にびっしりと立ち並び、大変に賑わっていました。
車社会になって街のコンパクトさは失われ、周辺に広がり、面積は大きくなりましたが、中がスコスコで、今は見かける人も少なく、人が集まるのは大規模店ぐらいです。人口密度が減ると人同士が出会わなくなり、偶然の機会も減り、また一体感や仲間意識も薄れます。
偶然の産み出す物は大きいと思いますが、その機会も少なく、一体感から生み出される力も減じると感じます。バラバラになると、個々にとって自由はありますが、外に出せるパワーが減ると思います。1人のみの力は大きくはありません。もし車の運転が出来なくなれば、日常生活も大変となり、移動距離が長くコストも高い生活は継続が困難となります。歩いて人と会える距離に集まっている方が生活し易くなります。
全ての面で濃い人間関係が良いとは必ずしも言えませんが、コンパクトな集団を作ると外部に対して出力が大きく、内部のサポートも強くなると思います。
日本の伝統的な良さの一つ強みは、コンパクトな集団を作れる団結力でした。
今後、人口が減少すると更に人間関係が希薄になる可能性が高く、産み出される力も落ちると懸念されます。コロナ禍でも思うのは、人と会わずにリモートで仕事ができても、リモートだけでは、集団としての出力は、結局、総合すると減るのではと感じます。偶然の機会も少なく産物も少ないでしょう。
今後も活力ある社会を維持して、日本社会が安楽死への道に向かわないためには、人と人が出逢う機会をどう増やしていけるかが大事だと思います。時間と空間と動く速さとが関係しますが、端的に言えばコンパクト化すると言うことだと思います。
ITやAIなどを活用するにしても、未来の移動手段を導入するにしても、人と人とが意図しなくても高頻度、高濃度に接触する様になる事が必要だと思います。
理事長 矢尾板 誠一