3月になると特にあの深刻かつ壮絶な被害を思い出します。
東日本大震災から8年です。
いまだ復興の途上にある地域の報道も目にします。
当時、見龍堂クリニックかわせみも被災地の特別養護老人ホームからお一人の患者様を受け入れ、医療・看護の提供をさせて頂いた事を思い出します。
患者様の症状が軽快し治癒した頃、被災した施設の運営が再開されました。その患者様は無事退院し、もとの施設に戻られました。
数日後、車椅子に乗り施設のスタッフさんと共にピースサインしている患者様の写真と心のこもったスタッフさんのお手紙を送って頂きました。
笑顔のスタッフの皆さんに囲まれお元気そうな姿でしたが、あの大変な被害の中で力強く復興に歩みを進めているであろう皆様の笑顔に、こちらが勇気を頂き、感動した事を覚えています。
矢尾板記念会がある日光市今市地区は平成18年の合併前は今市市といいました。
今市市の今から70年前の話。
1949年(昭和24年)12月、今市市にM6.2の地震が発生しました。その8分後にM6.4と続き、その余震は翌年の3月まで続いたそうです。
震度は6相当だったといいます。
記録によると、全壊家屋290棟、半壊家屋2994棟(但し、家屋の全壊は908戸、半壊5301戸との記録もあります)。
約60カ所で山崩れが発生したそうです。
高齢の患者様から地震の話を何度か伺ったことがあります。もうすぐお正月を迎える師走、耐震技術のない時代です。絶望的な被害を受けた場所や行方不明になった方もいたとの事でした。
地震の活動期である現在は日本のどこも地震の心配がない所はないと言われます。
大きな被害があった3月だからこそ、あの時の記憶を風化させる事なく災害に対する備えをしっかりとしていきたいですね。
例えば、ご自宅の家具の配置を話し合い、倒れても出入り口を塞がない等、万が一の時の被害が最小になる工夫が必要ですね。また倒れないよう家具の固定がとても大事です。
そして食料・飲料水の備蓄も必要です。
飲料水は3日分で1人9リットル(1人1日3リットルが目安)。
飲料水の他に生活水も必要になります。お風呂の水は溜めておくなど日頃から備えたいですね。
非常食は3日分の食料として、ご飯(アルファ米など)、ビスケット、板チョコ、乾パンなど。
そしてご家族の中で万が一の時の集合場所や、持ち出す物の確認など普段から話し合っておくことがとても大切です。
首相官邸ホームページで家庭での備えについて伝えておりますのでぜひご覧ください。
私はあの日病棟で患者様と過ごしておりました。今市でも大きな揺れが生じ、棚などが倒れないよう必死で押さえていたことを思い出します。
たくさんの方が亡くなられた悲しい災害でありましたが、今、ここで生きる私がその被害から多くを学び、日頃の備えを十分にしていくことが大切なんだと改めて思います。
中尾健一 看護師